夜の科学館:家康を知ろう

浜松科学館では月に一度(毎週第2金曜日)、高校生以上を対象に「夜の科学館」を開催しています。開館時間を延長し、常設展をご覧いただけることに加え、プラネタリウムやサイエンスショーなど、昼間の科学館とは趣の違う大人の方向けのプログラムを実施しています。今年度の夜の科学館では「大人がワクワクする科学館」を目指して、毎月異なるテーマを設定し、さまざまなコンテンツをご用意しました。本ブログでは、科学館ならではの切り口で毎月のテーマと科学の関わりを紹介します。

4月のテーマ「歴史」

今年のNHK大河ドラマの主人公は「徳川家康」。戦乱の世に終わりを告げ、江戸幕府を開府した家康ですが、天下統一の足がかりとなる浜松に城を築き、29歳から45歳までの17年間を浜松で過ごしました。今月は、科学の視点で「徳川家康」をひも解くプログラムです。

〇家康が体験した科学

浜松には家康に関する伝承がたくさん残っています。1573年の三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗した家康は、命からがら浜松城まで逃げ帰る途中、浜松八幡宮にあるクスノキの根元に身を隠しました。家康が一心に八幡宮に拝していると、クスノキより瑞雲が現れ、家康を浜松城まで導いたと伝えられています(諸説あります)。このとき、現れた瑞雲とは、彩雲、紫雲とも呼ばれる吉兆を表す雲で、私たちも日常的に見ることができます。

画像:PAKUTASO

このような雲を見たことはあるでしょうか。比較的よく見られる気象現象で、太陽光の回折・干渉によって雲がさまざまな色に見える現象です。太陽の近くに現れ、雲の外側に沿って色が見えます。サイエンスショーでは、スモークマシンと懐中電灯を使って再現しました。

写真は予備実験の様子です。光源に近いところが青く、遠いところがオレンジ色になっているのが分かるでしょうか。
あの日家康は、このような彩雲を見たのかもしれません。とても美しい現象ですので、勇気が出たのかもしれませんね。彩雲は、晴れの日で太陽の近くに雲があるときに発生することがあります。みなさんもぜひ、探してみてください。

〇大河ドラマ放送記念 星と家康

大河ドラマでは、そろそろ舞台が浜松に移ろうとしています。(4/14時点)
家康公が浜松で忘れられない経験をしたのは、「三方原の戦い」だと思います。武田軍に大敗し、命からがら浜松城に戻ったとされています。大敗した夜、もし晴れていたら家康公が見たであろう星空をプラネタリウムで再現しました。
そして、日本の歴史的な資料には記載がありませんが、その日、現在では見ることができない天体が見えていたはずなのです。海外の資料に残されているその天体は「ティコの星」と呼ばれています。デンマークの天文学者ティコ・ブラーエが詳しい資料を残したので、その名がつきました。ティコ・ブラーエは、スケッチを残しています。

カシオペア座の近くに新しい星が記録されています。(「I」と記してある星)
この天体は1572年11月に見え始めて、1574年3月に見えなくなったという記録があります。つまり、家康公が生きていた時代でも、1573年に起こった三方ヶ原の戦い前後しか見ることができなかった天体なのです。
その正体は超新星だと考えられています。質量の大きい天体が最後を迎える際に超新星爆発を起こします。すると急激に明るくなり、しばらくすると、だんだん暗くなり、見えなくなります。
みなさんも星空を眺めて歴史のロマンを感じてみてはいかがでしょうか?

〇鉛筆の濃い⇔薄い

徳川家康が天下統一を成し遂げたことで、戦国時代が終わり平和が訪れ、江戸時代は経済成長や海外との交流が盛んになりました。家康は海外から、文化や技術を積極的に取り入れていました。鉛筆もそのうちの一つです。家康公を祀る静岡市の久能山東照宮から発見された鉛筆は、メキシコ産の黒鉛と、アカシアの木で出来たものでした。この鉛筆は家康の遺品として保存されている日本最古の鉛筆であり、家康は日本で最初に鉛筆を使った人物だといわれています。

家康が使っていたとされる鉛筆のレプリカ(科学館 うえちゃん作成)

現在一般的に使用されている鉛筆の芯は、黒鉛と粘土を混ぜ、焼き固めて作られています。鉛筆の芯の先を電子顕微鏡で観察すると、鉛筆削りで削った後や、字を書いた部分がすり減っている様子が観察できます(図1)。主成分である黒鉛が削れて紙につくことで、「書く」ことができます。
鉛筆の芯は、粘土の量が多いほど硬くなり、削れにくくなるため色が薄くなります。最も薄い10Hの鉛筆の断面を見てみると、たくさんの粘土が混ぜられ、非常に細かくなっています(図2)。粘土の量が少ない10Bの鉛筆の断面は、一つ一つのかけらが大きくなっています(図3)。
家康の持っていた鉛筆は、黒鉛をそのまま削って木に挟んでつくられたものです。黒鉛を見てみると、薄い板のような物がたくさん重なっているように見えます(図4)。黒鉛を粘土と混ぜて焼き固めることで、濃淡の変化がつけられ、加工(削る)もできるようになりました。1564年にイギリスで発明された鉛筆が、日本で普及したのは明治時代になってから。家康はとても早い時期から鉛筆を使っていたようです。

  • 図1 HBの芯の電子顕微鏡画像(50倍)
  • 図2 10Hの芯の電子顕微鏡画像(1000倍)
  • 図3 10Bの芯の電子顕微鏡画像(1000倍)
  • 図4 黒鉛の電子顕微鏡画像(2500倍)

この他にも、当時はペンの代わりに使われていた墨を使った「墨流しコースター」や浜松の歴史がわかる紙芝居も行いました。科学館ならではの家康へのアプローチ、いかがでしたでしょうか。当館ミュージアムショップでも、毎月テーマに沿ったグッズを販売しています。

次回の夜の科学館は、5月12日(金)
テーマは『世界:浜松から世界を感じよう』
ご来館、お待ちしております。

5月の夜の科学館の案内(PDF)

イベント名:夜の科学館
開催日:2023年4月14日(金)毎月第2金曜日
参考資料:浜松市博物館編集.家康伝承と浜松 家康伝承調査事業成果報告冊子(2022)
浜松八幡宮 http://www.hamamatsuhachimangu.org/
株式会社トンボ鉛筆 えんぴつの歴史
https://www.tombow.com/sp/kids/pencil/history_world.html
ブリタニカ百科事典
Tychonis Brahe De nova et nullius aevi memoria prius visa stella

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